神が人となった目的(受肉)

御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。」(ルカ1:35)

イエスは、神です。
御使いは、マリヤへ、イエスは「いと高き子」、そして「神の子」となられる方であると知らせます。(ルカ1:32、35) マタイは「神はわたしたちとともにおられる」と記録しました。ヨハネは、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」と表現しました。

考えてみてください。神は、自身の約束を言葉に語りました。そして、言葉が人となったとき、神の約束はもたらされました。唯一神ご自身だけが、神の約束を与えられます。そのことから、今日、イエスキリストが神であることに感謝できます。

イエスは人です。
また、イエスキリストが人であることにも感謝できます。天使はマリヤへ言いました。「...生まれる者」(ルカ1:35)私たちが生まれるようにキリストも生まれてくださいました。—わたしたちのように生きるため、また死ぬため。キリストは、わたしたちのために来てくださり、私達とともに立ち、わたしたちのために行動します。神として、神が約束してくれたことをキリストはもたらします。人として、神が約束してくれたことをキリストは、わたしたちのためにもたらします。

イエスは聖なるお方です。
御使いは、イエスは「聖なる者」(ルカ1:35)であると語りました。ここに、いままでの歴史で見られなかったことがみられます。そして、この出来事は再びみられることはありあせん。:人が生まれつき聖なる者です。彼は天に属するものです。なぜなら、キリストは神だからです。そして、キリストは、人々を伴に天へ導き連れてくる力がある方です。

神と一つである方、イエスキリストは人であり、聖なる者、そのお方が、わたしたちに希望の扉を開いてくださいます。ジョンカルビンは言います。

「神として、死を感じ取れることはできませんでした。また、人として、それ(死)を克服することはできませんでした。人としては、あえて死に対して弱い者となり、罪のなだめの供え物となり、神としては、死と闘いました。それは、キリストがわたしたちのために勝利を勝ち得るためです。」

これが、神が人となられた目的です。神であり、人である方のみが、人々へ神の約束をもたらすことができるのです。

Life Keys, Colin Smith, Senior Pastor at The Orchard

多くの疑問?創世記1:1−2:3

聖書は、わたしたちの人生の中で、私たちが答えることができない多くの疑問に答えてくれます。例えば?人はどこから来たの?生きる目的って?どうして聖書は愛なる神の存在を語っているのに、この世界は問題だらけなの?などなど...

今日の聖書の話も、わたしたちが、答えることが難しい疑問に答えてくれます。

1.神って存在するの?
2.世界はどうやって始まったの?
3.人はどこから来たの?

これらの質問に対する、答えが、創世記1:1ー2:3に、詳しく書かれています。

1つ目の疑問?:神様っているの?
聖書の一番最初に、この答えがあります。「まだ何もない時、神様は天と地をお造りになりました。」とあります。ここに神という名前があり、「神様」という存在があることが、はっきりと書かれています。みなさんは、神に対してどのような思いをお持ちでしょうか?聖書が言う「神」とは、この世界にあるすべてを造られたお方、わたしたちの創造主です。英語では、「Creator」と言いますが、すべての始まりを造られた神様です。

2つ目の疑問?:世界はどうやって始まったの?
これも聖書の最初に詳しく書かれています。

最初の日「光」、
2日目に「天」、
3日目に「地上、植物」、
4日目に「惑星:太陽、月、星」、
5日目に「魚や、鳥」、
6日目に「地上、動物、人」を造られました。
そして、7日目を「聖なる日」としました。

偶発的に、もしくは、何かの現象でこの世界は造られたのではなく、神様という方が存在し、そのお方が、世界の誕生のすべてに深く関わっていることを聖書は語っています。

3つ目の疑問?:人はどこから来たの?またどうやって人は誕生したの?

創世記1:26、27節にその答えがあります。

神様はこう言いました。「さあ、人間を造ろう。地と空と海のあらゆる生き物を支配させるために、われわれに最も近い、われわれに似た人間を造ろう。」27このように、人間は、天地を造った神様に似た者として造られました。 神様はご自分に似せて人間を造り、男と女とに造ったのです。

この箇所から、人間が神様にとってどれだけ特別な存在かがわかります。それは、神様が造られたものを支配する権利が、人だけに与えられています。また、人は、神様に似せられて造られました。

カフェのみなさん次回は、聖書の新約聖書の話からです。

仙台からシカゴへ

先日、仙台に住む友達がシカゴへ遊びに来てくれました。以前、私達と同じ神学校に通っていた家族で、家の息子と年が近く仲良くさせてもらっていたので家の子供たちは大喜びでした。仙台では、牧師として働いている傍ら全世界からボランティアを受け入れて震災で被災された方々を救済する活動を日夜されています。その働きを紹介した動画です。これからも引き続き、彼らの働きを応援していきたいです。

4/24イースター礼拝(残すことなく示されたキリストの愛3)

なぜキリストは死からよみがえったのでしょうか?

イースターは、キリストのよみがえりをお祝いする特別な日です。世界中でイースターの感謝祭がおこなわれました。

率直な質問があります。「なぜキリストはよみがえがえったのでしょうか?」この答えを語る1節がローマ人の手紙の中にあります。

主イエスは、私たちの罪のために死に渡され私たちが義と認められるためによみがえられたからです。(ローマ4章25節)

想像してみてください。わたしたちすべては、神の前に罪人であると聖書は言っています。「義人はいないひとりもいない」(ローマ3章10節)

裁判に例えるならば、わたしたち一人一人は有罪となり、一人一人が、罪の償いをしなければなりません。すべてが正しい神の前にどれほどの罪の償いをしたら、わたしたちは、ゆるしてもらえるのでしょうか?わたしたちの最前の償いであっても、到底無理に思えます。

愛なる神様はあることを決断されました。それは、義なるわが子キリストが自ら十字架の上で命を捨てることでした。そして、それは神の裁きを受けなければならない罪人であるわたしたちを、神の裁きから救い出すためでした。

キリストが死んでよみがえってくださったのは、わたしたち罪人が神の裁きからゆるされ、神の前に、義(ただしい人)なる者になるためでした。

私たちは、たった一人子を失うことをゆるされた父なる愛の神によって。また、自らのいのちをわたしたちの罪のために差し出した、愛なるキリストを信じる信仰によって正しいものとなりました。

よみがえられたキリストを信じる信仰によって頂ける、神の赦しと神の前に義とされるすばらしさ、喜びをぜひ知ってください。

礼拝メッセージ集4/24(日)はこちらから...

4/17日曜礼拝(残すことなく示されたキリストの愛2)

キリストの救い(天国へ入ること)は、行いではなく、恵みと信仰によって与えられる。

ある人たちは、よい行いが救いに導く天国への最短距離だと考えています。そのため、一生懸命よい行いに努めようとします。たくさんのボランティアをしたり、困っている人を助けてあげたりと奔走します。

人は、どこまですばらしいよい行いをしたら救われる合格点を神様からもらえるのでしょうか?この答えは、きっとだれもわかりません。それは、死ぬときまで答えはわからず、私たちは不安になります。

聖書は、よい行いには限界があって、だれも神様の救いが得られるところまでは、到達できないと語っています。

聖書は、こう言っています。 「わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって。」救われると教えています。(テスト3章5節)

そして、神の救いの合格点に達するには、キリストを救い主と信じ受け入れることだと言われています。 「人が義(神のまえに正しい者)とされたのは、法律の行いによるものではなく、ただキリストを信じる信仰によることを認め、わたしたちもキリストイエスを信じたためである。」(ガラテヤ2章16節)

私たちのよい行いには限界があります。このキリストを信じる信仰によって救われるのです。そして救いは、神の一方的な恵みから来るのです。

「あなたがたが救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。決して行いによるものではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。」(エペソ2章8-9節)

神の救いを受けるには、キリストによる恵みと信仰のみによります。それは、あなたのよい行いによるものではなく、キリストによる恵みと信仰のみによります。

礼拝メッセージ集4/17(日)はこちらから...

初レッスン!

4月17日、ブラックゴスペルの初レッスンが行われました。先生の歌のうまさにびっくりのレッスンで始まって、各パートに分かれて練習しました。ブラックゴスペル初心者ばかりでしたが先生の迫力に押されて楽しい一時で1時間半のレッスンはあっと言う間でした。まだまだ、メンバーを募集していますのでぜひ、参加してくださいね。次回は5月1日2時からです。

4/10 日曜礼拝(残すことなく示されたキリストの愛1)

キリストの愛の大きさとはどのくらいの大きさなのでしょう? このキリストの愛の大きさをもっとも表している話が聖書の中にあります。

キリストは、罪を何も犯さなかったのですが、キリストの敵対者達(群衆、ピラト、ヘロデ、議会、神学者達)によって十字架の刑に処されてしまいました。

キリストは、無実の刑で、自分を死に至らしめた人々に対して、この言葉を十字架の上から語りかけました。

「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、何をしているか自分でわからないのです。」

人にはできないことです。神キリストにしかできない、神の大きな愛の表現です。

神様は、このような大きな愛を持って、私たちの心の中にある、過去に犯した罪も赦してくれます。

キリストの元に来て、自身の罪をキリストへ告白し、この大きなキリストの赦しの愛を知ってください。キリストの大きな赦しの愛を受けてください。

聖書は、私たちに語っています。

「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」ヨハネの手紙第一 1章9節

みなさんは、神の赦しの愛を受け取りたいと思いませんか?

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